2013年12月30日月曜日

人生積分論

どうも着地です。今日も寒いです。はい。。。。。

さて、タイトル通り私は数学が好きです。(好きこそものの上手なれは肝に銘じておきます・・・・)
今回の元ネタは、日ごろ私が思っていることと担当教員の考えが同じだったのが印象に残り、これを文章化したいと思ったからです。



結論は「人の価値、あるいは物事(試験など)の結果は日々の積分である」。まぁ、当たり前のことですよね。しかし、普段は自覚していないのではないでしょうか?
下の図はこの考えを主張するために、私なりに考えた図です。横軸は、ある時点での「努力」を表しています。縦軸は、「その時点における何らかの結果や評価」。関数は私たちの「やる気」をそれぞれ表しています。


当然、やる気が高いとき、物事が分かり始めたときは集中力も高く、それに対応した結果が得られるはずです。これが、軌道に乗ると精神的に健康、日々の営みに楽しみを見出していきます。
※(関数は適当です。この形は人それぞれだと思います。)

逆に、誤った方法での努力や時間遅れを伴う結果などが生じた場合、やる気が減少する傾向にあります。そのときに努力をしても、集中力散漫満足のいく結果がでなかった→結果、評価が下がった→努力を怠る。いわゆる負の連鎖です。

ときに、「じゃあ、大事な場面でこの関数の極大を迎えるように調整すればいいんでしょ?」という人もいると思います。私はそれに待った!と言いたい。

確かに、大事な場面で極大値を迎えれば面積は多少大きくなります。しかし、勝負はその前に決着がついています。何故なら、関数の面積が結果です。僕たちの実力であり結果です。如何にその日の為に準備を整えてきたか?その時点で勝負ありです。もし面積が同等なら、時の運やその日の調子によるのではないでしょうか。

これが全員に当てはまるとは限りません。ただ、私はこのように感じ、考えています。







2013年12月14日土曜日

TOEIC 自己ベスト更新乙!

 北陸が本気が最近、本気を出してきております。
連日の雨or雪。風速20mを超すような強風。建物をも振動させる雷。


航空機を作っている人のお話によると、航空機は当然ながら落雷に対しても設計の一部として組み込まれている。では、頻度の程度は?、どのくらいの放出量(V:正確な単位は知らないが。)などが必要となる。

そこで、モデルに使われるのが世界で頻繁に雷が発生する2か所の地域だ。1つはスカンジナビア半島。もう1つがこの日本海沿岸部だそうだ・・・・・。これは笑わざるにはいられなかった笑。



 さて、半分趣味の領域になっているTOEICの最新結果(11/17受験)が返ってきた。
以下、前回(9/29受験)との比較。


             Listening                Reading             Total

9/29          295                      275                  570


11/17        350                       330                 680  



110点も上がったぞぉぉぉぉ!!以前からListeningが苦手だったので、ようやく克服できたようです笑。これで、会社にもある程度、胸を張れるかな・・・・?(なんせ、730点以上取得者が全体で30%未満だそうなので)

ただ、1つ懸念。それはReadingが受験当初から伸びていないこと・・・・泣。
1回目受験から今回まで300点前後をウロウロしてます。本来はこちらの方が得意なので、何としても底上げをしたいところ。

これに満足せず、2月and3月も受験して、入社時には「800超えてますけど?」と、自慢したいところ!(もちろん、TOEICはあくまでも、英語ができるだろう、という可能性を表していることは承知しております。)

様々な人のブログなどを見ると、800点越えのカギは「TOEIC対策」の勉強よりも「日常英語の」の勉強のようですね。現在、趣味化しつつある、BBCNewsとTEDをさらに深めようかな・・・・?


以下、我が最終目標(学生時代における)なり。

       Listening                Reading             Total

Xday           400                       430                  830

2013年12月3日火曜日

Texで忘れがちな表記について


 今回は私が日々の卒論作成にあたり使用しているLaTexにおけるコマンドを備忘録として掲載します。使えど使えど、忘れるものは忘れるのは嫌なものだなぁぁ・・・・・・

therefore

 ①\raisebox{.2ex}{.}\raisebox{1.2ex}{.}\raisebox{.2ex}{.}  


      ②数式における空白 \;→大きめの空白  \:→中くらいの空白 \,→小さめの空白

     
      ③\cfrac→分数の大きさを適当な大きさに調節してくれる。                           小さく見にくくなることが多いのでヘビロテしてます。
               
      \sqrt{\mathstrut{ルートの中身}}→ルートの中に合わせてルートの大きさを調節。                          
      
      ④\begin{eqnarray}
          \begin{cases}
                                   ほげほげ        
          \end{cases}    
        \end{eqnarray}
                →「 { 」数式をまとめて書くときに使う
                   (連立方程式や各方向のひずみ速度を表現するときに便利)

⑤\begin{align}  数式1    \right.  \\     
           数式2    \left.
 \end{align}
                →数式中に括弧があるが、式を折り返してくれる

       ⑥\begin{itemize}
          \item ほげほげ
                   \end{itemize}

                       →文章の箇条書き。なお、\itemの部分を\item{何か}とすれば、箇条書きの「点」が「何か」になる。

また何か思い出したら随時あげていく予定

2013年11月20日水曜日

こうのとりの行方

これまたお久しぶりの更新。
「言うは易く行うは難し」というやつです。



少し思うことがあるので投稿。
お題は「こうのとりのゆりかご」について。


これは、熊本県熊本市にある医療法人「慈恵病院」が行っているシステムの1つであり、通称「赤ちゃんポスト」と呼ばれている。様々な事情によりやむなく育児を断念せざるを得ない女性たちが、匿名かつ無料でこの病院に赤ちゃんを預けることができるというものである。

これはドイツの「Baby Klappe」というものがお手本になっている。2000年より、ドイツでは捨て子が当時、社会問題となっており法改正がままらない中施行された。日本では2007年よりこの病院のみで実施し、この6年間で92人赤ちゃんを預かったという。


しかし、ここで1つ課題。それは預けられる人数が予想を超えたことである。この病院の院長は、多くても年に2,3名程度だと予想していたが、実際はその約5倍もの赤ちゃんが預けられたことである。まさに、現代社会の問題を如実に浮き彫りにした。。。。。


施設、人員が制限される中増え続ける捨てられた赤ちゃん。この病院を中心に、「こうのとりのゆりかご」を増やそうという運動が行われている。民間だけでなく、公の組織も赤ちゃん、そして女性を助けようと働きかけているのである。


ちなみに、ドイツはこの制度を廃止し、匿名制でなく、女性と病院における相談員との守秘制にしたのである。守秘制とは、預けられた赤ちゃんが16歳になれば、自分の母親が誰か知る権利を得ることができる、という意味からきている。匿名制を廃止したのは倫理上の問題だからであろう。


【以下私の思うところ】

・「こうのとりのゆりかご」を増やすのは良い事だと思うが、場所を考えなければならない。今は熊本市のみにしかなく、ほとんどの人々にとっては遠いため赤ちゃんを預けることができない、という人も少なくないと思う。これがもし、都市圏に設置されたらどうなるであろうか。(ちなみに、匿名制でなく、守秘制の方が望ましいと思う。)


・また、簡単に増やせというが、その運営費は誰が賄うのであろうか。昨今、お年寄りのため、生活保護のために、という社会福祉の名目で日本の支出に負担がかかっている。これ以上、拍車をかけるわけにはいかないだろう。

1つの案としては、預ける母が毎月or毎年、養育費を払うのはどうであろうか。夫婦が離婚すれば、子供の養育費を片方が支払うのと同じように。

生みたくなくても生んでしまった、という人には辛いことかもしれない。しかし、今の日本にはそこまでお金を回す余裕があるとは到底思えない。払えないから赤ちゃんを預けず殺してしまうor心中する人もきっといるかもしれない。しかし、残念ながら今の私には、そういう人たちに対し何をしてあげればよいか?を考えるほど、力はない。


重いですね。
では、おやすみなさい

2013年10月22日火曜日

Google translateの上手な使い方

今日のゼミは先生が極度に眠いということなので、ほとんどお休みでした。しかし!良いことを聞いた!!

それは、『SepPDF』『OCR-X』というフリーソフトの使い方である。ちなみに『OCR-X』は有料版も存在する。無料版の限界については後ほど…。

『SepPDF』とは、PDFをページごとに分割、統合ができるソフトである。しかし、PDFの中にはセキュリティとして、パスワードにより保護されてるものもある。この場合は、パスワードを入力すればできるが、知らなければそこでアウト。

そこで代用するのが、『PDF  complete』である。ページを指定し、保存場所を選択した上でこれで印刷すれば、その指定したページのみのPDFができる。

次『OCR-X』について。これはPDFファイルの文書を.txtや.wordファイルの直してくれる便利アプリだ。操作手順は全て英語であるが、簡単簡単♪

PDFファイルの言語が英語なら、言語決定をする選択際「ヨーロッパ中欧言語 英語」(だったかな・・・・?)を選択するといい。これを手順に従い行うと、テキスト版が手に入るわけだ。


先程も言ったが、『OCR-X』には有料版と無料版が存在する。違いは以下のとおり。

無料版→一枚ずつテキストに変換していく。
有料版→一気にすべてを変換していく。

まぁ、僕みたいな学生には無料版でも十分ですかね。
これで手に入った、英語のテキストファイルをGoogle  translateに突っ込んでやれば、勝手に先生が訳してくれるのだ。なんとまぁ便利な世の中・・・・


※翻訳の際はご注意を
突っ込んで終わりではない。訳してもところどころ不適切な部分がある。何故かと言えば、英語に改行が入っているからである。この改行の為、意味不明な日本語に訳される。

<解決方法>
・英語の改行を直してあげること。
・意味のある段落で区切ってあげること。

この2つを面倒だが手作業でやってあげれば先生はきちんと訳してくれる。この作業には、意味を理解するための最低限の英語力は必要です。


ともあれ、一番いいのはスラスラ訳せるくらいの英語力を身につけることですよね??
(これでは。このタイトルの身も蓋もないわけだが)

Latexにおける図の貼り付け方法

これまた久しぶりの投稿(/・ω・)/

今回はLatexを使いこなしつつある私がどうしてもわからなかった「図の貼り付け方」について、その方法を備忘録として残す。ただし、言い回しや用語が正しく使えている自信はない!!←
(&これからは、このように少しずつ記録を残していきたい)


【Latexに図を貼り付けるための手順】

①DynamicDrawで作成した図やexcelで書いたグラフをまずはpngまたはpdf形式で保存。このとき、保存する場所はどこでもよいが、Latexが入っているフォルダの方が好ましい。

※(DynamicDrawで図を保存する場合、そのまま保存してもwmf形式で保存されるため注意が必要。ファイル→選択部品の画像をエクスポートをクリック→png形式を選択し、同じくLatexが入っているフォルダに保存。これは絶対)


②次に、「アクセサリ」より「コマンドプロント」を起動。何をするかというと、保存した図をLatexが読み取ってくれる「.xbbファイル」に変換するためである。これは、簡単に言えば、Latexは「BoundaliyBox」という箱から図の情報を読み取り、プログラム上で指示された大きさに図を変更したり、位置を変えるのである。操作は以下の通り。

(1)コマンドプロントより「extract bb (ファイル名).(保存した形式)」というコマンドを行う。


(2)「dir」を行い、Latexのディレクトリに保存した図のbb(またはxbb)ファイルが保存されていることを確認
→このとき、ファイルが作られていても「0バイト」でないかを確認した方がいい。
そんなことがあるのか?と聞かれれば、あり得る。最も、その場合は保存やコピーの時点で間違っているのだが。


(3)保存が確認できればOK!!


③Latexで次のコマンドを入力
\begin{figure}[b]←bはbottomという意味。この他にも、「here」,「tbp」などがある。
\begin{center}
\includegraphics[width=0.45\textwidth]{./(保存した図のファイル名).(保存した形式pngなど)}
\end{center}
\caption{お好きな名前}
\label{fig:お好きな記号}←後に貼る図などが前後してもlabelの順序は通しのままという便利さ
\end{figure}


これで図を貼りつけることができたはずである。多分。

初めにも書いたが、当方はそこまで詳しくはないので、間違っていてもあしからず・・・・

2013年8月28日水曜日

勉強って・・・

久しぶりの更新!

最近、自分の文章力の無さに痛感している。授業料免除の事由事項欄、イエシムさん、レさんとの英会話etc。まぁ、その文章力を少しでも上げるための自己満足のブログな訳ですよ・・・・(泣)


さて、本題に入るための導入として、うちの研究室で石川県庁に2名合格した!!(行政&土木)おめでとうございます。そして1年間お疲れ様でした。来春からは同じ社会人1年生として頑張って参りましょう!!

本題(と言っても、また先生との雑談から生まれたものだが)。
では、何故これが導入なのか?1つ気になって欲しいことがある。それは「理系のこの学類から『地方上級・行政』に合格したということである」



これはつまり、大して専門的知識やそのバックグラウンドを持たず、たった1年そこら勉強した学生が石川県を動かす一因になったということである。もっと言えば、落ちた文系の学生は何のために大学に来ていたのだろうか?

言い方は非常に悪い。それはお詫びを申し上げます。しかし、一人の市民として疑問に思わないだろうか。これから、社会人になる私は非常に疑問に思う。何故そのような人に左右されなければならないのか?何故その人たちのために税金を納めなければいけないのか??

合格した人々は一所懸命勉強されただろう。なぜなら、人生を決める選択なのだから。しかし、果たしてそれは勉強と言えるのだろうか?

私は、それはテスト対策をした結果ではないだろうかと思う。入試でも同じことだが、こういう問題が出るから、こう解けばいいというパターン化。これが出るから教科書を読み、出ないならやらなくてよいという取捨選択。まさに、「対策」である。


勉強とは、本来、現象や物事を深く理解し説明できるようになるためにやるべきではないか?
確かに、日常はパターン化で終了することが大半であり、そのパターンすら処理できない人はきっと無能と呼ばれるかもしれない。だが、私たちはそのパターンをこなすことでお金を稼ぐわけではない。


社会人とは、そのパターンにはまらないもの、あるいは勉強により得た理解を用いて正確に、そして常に疑問を抱き、それを解決する。それが仕事をするということである。そして、それに対し賃金が支払われる。これが社会の仕組みではないだろうか。


もちろん、そこに到達するまで勉強するというのは理想論であり、個々の勉強できる量や時間は限られている。全員が全員でなれるはずもない。私もその一人である。勉強するかどうかは個人の判断だが、根本として勉強とは対策をすることではないはずである。

もし、勉強=試験対策ならば、社会人が口をそろえて「学生時代にもっと勉強しておけば・・・」とは言わないはずである。何故なら、入社対策をし、関門を突破した時点でもう彼らの勉強は終わっているのだから。

彼らは「もっと知識、理解を深めさえしていれば・・・」と、言うべきである。
そして、それを正しく理解し行動している学生はほとんど皆無ではないか。
(来年からは自分が言いたくはないけど・・・・・・)

2013年7月31日水曜日

研究室の雑談 その2

今日の研究室で4年生はほとんど僕1人だった。なんとも寂しいというか、公務員の試験が終わった余波であるからだろう・・・・

さて、M1の方を除けば私1人の研究室。小林先生とたっぷり雑談をすることができた。何んとも貴重な時間であること笑!(もちろん話の全てを理解できたわけではないが)今日のお話の内容としては主に↓な感じ。

①ワインバーグ
→トランスサイエンスを提唱:科学技術がもたらす複雑な問題(科学技術では解けない)を解決するためには新しい方法が必要。

②教育機関の在り方について
学校とは、人類がこれまでに得てきた知識において必要なものを凝縮し教える場である。それは生徒から見れば難しくわからないかもしれないが、先生としてはいつかその知識が役に立つであろうと信じ知識の種を撒いている。生徒が0から知識を構築し理解することがほとんど不可能であるから。また、先生が種を撒く際は注意をしなければならないことがある。それは、先生が目の前にいる生徒はどうせ理解できないだろうと頭打ちしてはいけない。その上限はあくまでその先生個人の価値観に基づいたラインであり、生徒はこれからその先生とは別分野で羽ばたく可能性を持っている。先生はその可能性を信じ伸ばすべきであり、決してその可能性を摘んではならない。


む、難しい・・・・・。しかし、こういう話をきくことができたのは本当にありがたい。自分の考え方の幅が広がることを実感できる。僕が学校に来ている主な理由はこの会話だと思う。


2013年6月28日金曜日

身近でかつ最も気をつけるべき食品添加物

最も危険な食品添加物


亜硝酸Na→明太子やハムなどに発色剤、ボツリヌス菌による食中毒防止のため用いられる。塩分濃度の高い食品と同時に取ることない方が良い。理由は、塩分によって粘液が溶け、胃液が胃自身を刺激し炎症を引き起こす。炎症しダメージを受けた胃細胞は再生しようとするが、その時に発がん性物質が添加されると癌を引き起こす可能性があるからである。


過酸化脂質→これは食品添加物ではない。しかし、油を高温の状態にするまたはコンビニなどの揚げ物などの油が時間が経つにつれ酸化されることにより生じる。この物質は、人体に胃の不快感や胃もたれ、下痢などを引き起こす。胃がデリケートな人はなるべく避けた方が良い。


カラメル色素→食品に褐色をつける着色料として使用される。カラメル色素にはⅠ~Ⅳ種まであり、発がん性が疑われているのはⅢ、Ⅳ種のみ。つまり、すべてのカラメル色素が悪というわけではない。Ⅲ、Ⅳ種に含まれる4-メチルイミダゾールはDNAを構成する塩基であるシトシン、チミンに似ている。このため、DNAのコピーが行われる際、誤って塩基に入り込み細胞に異常を来たすのではないかと考えられている。


アスパルテーム、スクラロース、アセスルファムK→自然に存在しない人工化合物。低カロリーで砂糖の約200倍以上甘い。が、白血病やリンパ腫、脳腫瘍を引き起こす確率が高まるデータが30年以上前から存在。糖の排除ではなく、自己コントロールが肝心。


臭素酸カリウム→パンをふっくらと作りやすくするために用いられる。旧厚生省が臭素酸カリウムには変異原性があると発表したため、ヤマザキ製パン(ランチパックや芳醇など)にのみ含まれる。これは、同社が分解・除去の方法を開発したためであるが、果たして基準が守られているかは疑問視されている。


opp(オルトフェニルフェノール),opp-Na,TBZ、イマザリル→主に柑橘類に使用される農薬。柑橘類は輸入されるものが多く、アメリカやオーストラリアから輸入される際、カビの発生を防ぐために用いられる。これらの物質には催奇性や癌化性が都立衛生研究所で認められている。(したがって、妊娠中の女性は決して口にしないほうが良い。店頭で表示されていないケースもある)しかし、現在も使用が許されているのは、1975年アメリカとの貿易摩擦が原因。日本から自動車や電化製品を輸入していたアメリカは、この農薬のために輸入を規制していた当時の厚生省に圧力をかけ、牛肉と柑橘類の輸入を解禁させた。


次亜塩素酸ナトリウム→主に傷みやすい(例えば、魚介類や生野菜)加工食品に対し、食中毒や野菜をシャキシャキさせるために用いられる。人に対しては小さじ1杯程度で死にいたる物質。口にしたとき、薬品の苦い様なプールのような味がする。洗い流すと残留はほとんどないため表示義務はないが、居酒屋や寿司店などで使われていることが多々ある。意識しないと気付かないかも・・・


亜硫酸塩→ワインなどの酸化防止剤、またはドライフルーツの漂白剤として使用されている。硫酸のため毒性が強く、胃を刺激しやすい。化学物質過敏症の人はこの物質に反応しやすく、頭痛や嘔吐、下痢など体が拒否反応を示す。


安息香酸Na、サッカリンNa→主に、栄養成分や糖分の防腐剤として栄養ドリンクや絶倫系飲料に含まれる。ビタミンCと反応し白血病を引き起こす可能性があることは20世紀前半に証明された。また、白血病を引き起こすベンゼンと構造がよく似ており、ベンゼンはDNAの塩基に似ている。このため、骨髄の細胞に入り込みDNAの構造を変え、結果的に癌化や白血病を引き起こすと考えられている。

この他にも、数の子をきれいな色にするために使われる過酸化水素リップスティックに使わるBHA、BHTにも明確ではないが、動物実験で少なくとも発がん作用があると認められたものである。

また、添加物かどうかわからないものも明示されている。JAS法により、順番として添加物は必ず原材料の後に書かれている。これにより見分けるのが最も簡単だろう。順番は添加物にしろ、原材料にしろ、最も多く使われているものから順に記載されていることにも留意してほしい。


【まとめ】
食品添加物を口にするなというのはほぼ不可能であろう。約15種の食品添加物は極力避けるようにしたい。それは動物実験が明らかに証明しているからである。食品という名がついても、添加物は化学物質、食品ではないのだ。このことを十分肝に銘じて職を楽しみ、また自身の身を守るべきであろう。


2013年5月29日水曜日

パズドラ

 サークルや研究室に行けば必ず1回は「パズドラ」の会話が聞こえてくる。「~強くない?」、「レアガチャひいたけど・・・」、大体はこんな内容だ。私自身はやっていないので、何を言っているか全くわからない。外国語を聞いているようなものだ。会話のみならず、飲食店やバスの中を見わたすと携帯をいじっている人がいるが、ひどい時は半分以上の人がパズドラをやっているなんてこともあったり・・・・笑

 私なりに何故これほどブームになっているのか考えてみた。合っているかどうかは別問題。
キーワードとしては、
①対戦機能とキャラクター性 ②パズルゲーム ③無料アプリ

 まず、①の対戦機能とキャラクター性について。パズドラは対戦機能がない。つまり、人と争う必要がなく個々の世界観で楽しむことができるのだ。対戦機能は課金した人や賢い人が弱者を一方的に攻撃し他者との差別化を具現化しようとする。その結果、弱者の意欲が減退し利用者が減少する。その対戦機能がなければ他者と争わず、個々のペースが尊重され利用者の減少は抑制される。加えてそのキャラクター性。数々のかっこいいモンスター、かわいいキャラクターなどを集めることも楽しみの1つとされ、女性にもヒットした原因であるだろう。

 
 ②について。日本は脳トレが大好きである。昨今、脳を鍛えるテレビ番組が放映されている。パズドラはその名の通り、ブロックを3つそろえて崩すことにより敵モンスターに
ダメージを与えるシステムである。どうすれば大ダメージを与えられるか?何連鎖続けることができるか?スキルは?etc.....このような細かいシステムはまさに日本人向けではないだろうか。

 ③について。無料アプリとしたが、さらに突き詰めれば技術の向上である。スマートフォンの発達、データ処理能力の発達など、以前の端末あるいは一昔のゲーム機ですら出来なかったことを平気でやってのける現代になった。今後もこのようなアプリ、あるいは端末の技術は発達するであろう。


【まとめ】
 私は、大げさではあるがパズドラはちょっとした現代日本の縮図ではないかと考える。①、②では、個人主義の浸透、アニメなど新しい日本文化の台頭。③では、世界でもトップクラスの技術力と細かいシステムの配慮。どれも平成時代を象徴するような言葉ではないかと私は考える。
 
 ただ、一言申し上げたいことがある。飲み会、旅行先などの場でパズドラはしないで欲しい。せっかくのイベントなのでもっとそれに集中していただきたい。いわゆる、Catch the moment である。

2013年5月21日火曜日

研究室での雑談 その1

 今は、3×3行列の個有値、個有ベクトルを計算するプログラミングを作っている。なんでも、力を極分解するためなんだとか・・・・。具体的にはこんな感じ↓↓

************************************************

!(1)Caluculation of 'C=F^t*F=U^2'
implicit none
real(8)a1,b1,c1,d1,e1,f1,g1,h1,i1
real(8)::C(3,3)  x(3,3)  y(3,3)
read(5,*) a1,b1,c1,d1,e1,f1,g1,h1,i1

x(1,1:3)=(/a1,b1,c1/)
x(2,1:3)=(/d1,e1,f1/)
x(3,1:3)=(/g1,h1,i1/)
y(1,1:3)=(/a1,d1,g1/)
y(2,1:3)=(/b1,e1,h1/)
y(3,1:3)=(/c1,f1,i1/)

C(:,:)=matual(x,y)
  write(*,*)  'C(:,:)=',C(:,:)

************************************************
これはまだまだ途中。ここから個有値などを計算しなければならない。この課題が出されてはや1週間。いつになったら終わることやらorz。そんなときにまさかの小林先生登場。

そこで、来年から大成で働くが僕は何をすればいい??という話をしてみた。小林先生曰く、社会で私たちに求められるの以下の6つの能力だという。

①知識 ②与えられた条件で問題が解ける ③説明できる
④分析 ⑤評価 ⑥①~⑤を用いて創造

そして、①~③は学部3年生まで、④のかじりが4年生で大学で行われている。院生にもなると④を本格的に行ううとのこと。①~③は当然入社までに磨いておかなければならない!!そして、④、⑤は新入社員が身につけていくべきこと、⑥にもなると部下を持ちお金を沢山もらえる。

この資本主義の世の中、本当に価値のあるものは厳しい条件で方法、手段を組み合わせる「人のアイディア」だということが改めてわかった。

そして、私の課題は・・・・・・・・
①手を動かすこと
②上記の①~③をできるようにすること

2013年5月10日金曜日

徒然なるままに・・・

 「徒然なるままに、日暮し硯にむかいて・・・・」

上記は鎌倉時代の兼好法師が描いた三大随筆の1つである「徒然草」の冒頭であるが、ふとある時このフレーズが思い浮かんだ。何故かは私自身もわからない。しかし、本当に徒然なるままな時、常日頃自分の考えや想い、思い出、学んだことなどをどこかに表現し蓄積できるものがあればと思っていた。それが紙だろうがネットであろうが媒体は何でもいい


 このブログがどれだけ更新されるかはわからないが、自分に対しての苦行の1つとして続ける努力をしていきたい。なお、タイトルにあるようにこれは「完全自己満Dreamer」であるため、所詮は自己満であることをご了承ください・・・・・・(誰が?という話であるが)