2013年11月20日水曜日

こうのとりの行方

これまたお久しぶりの更新。
「言うは易く行うは難し」というやつです。



少し思うことがあるので投稿。
お題は「こうのとりのゆりかご」について。


これは、熊本県熊本市にある医療法人「慈恵病院」が行っているシステムの1つであり、通称「赤ちゃんポスト」と呼ばれている。様々な事情によりやむなく育児を断念せざるを得ない女性たちが、匿名かつ無料でこの病院に赤ちゃんを預けることができるというものである。

これはドイツの「Baby Klappe」というものがお手本になっている。2000年より、ドイツでは捨て子が当時、社会問題となっており法改正がままらない中施行された。日本では2007年よりこの病院のみで実施し、この6年間で92人赤ちゃんを預かったという。


しかし、ここで1つ課題。それは預けられる人数が予想を超えたことである。この病院の院長は、多くても年に2,3名程度だと予想していたが、実際はその約5倍もの赤ちゃんが預けられたことである。まさに、現代社会の問題を如実に浮き彫りにした。。。。。


施設、人員が制限される中増え続ける捨てられた赤ちゃん。この病院を中心に、「こうのとりのゆりかご」を増やそうという運動が行われている。民間だけでなく、公の組織も赤ちゃん、そして女性を助けようと働きかけているのである。


ちなみに、ドイツはこの制度を廃止し、匿名制でなく、女性と病院における相談員との守秘制にしたのである。守秘制とは、預けられた赤ちゃんが16歳になれば、自分の母親が誰か知る権利を得ることができる、という意味からきている。匿名制を廃止したのは倫理上の問題だからであろう。


【以下私の思うところ】

・「こうのとりのゆりかご」を増やすのは良い事だと思うが、場所を考えなければならない。今は熊本市のみにしかなく、ほとんどの人々にとっては遠いため赤ちゃんを預けることができない、という人も少なくないと思う。これがもし、都市圏に設置されたらどうなるであろうか。(ちなみに、匿名制でなく、守秘制の方が望ましいと思う。)


・また、簡単に増やせというが、その運営費は誰が賄うのであろうか。昨今、お年寄りのため、生活保護のために、という社会福祉の名目で日本の支出に負担がかかっている。これ以上、拍車をかけるわけにはいかないだろう。

1つの案としては、預ける母が毎月or毎年、養育費を払うのはどうであろうか。夫婦が離婚すれば、子供の養育費を片方が支払うのと同じように。

生みたくなくても生んでしまった、という人には辛いことかもしれない。しかし、今の日本にはそこまでお金を回す余裕があるとは到底思えない。払えないから赤ちゃんを預けず殺してしまうor心中する人もきっといるかもしれない。しかし、残念ながら今の私には、そういう人たちに対し何をしてあげればよいか?を考えるほど、力はない。


重いですね。
では、おやすみなさい

2013年10月22日火曜日

Google translateの上手な使い方

今日のゼミは先生が極度に眠いということなので、ほとんどお休みでした。しかし!良いことを聞いた!!

それは、『SepPDF』『OCR-X』というフリーソフトの使い方である。ちなみに『OCR-X』は有料版も存在する。無料版の限界については後ほど…。

『SepPDF』とは、PDFをページごとに分割、統合ができるソフトである。しかし、PDFの中にはセキュリティとして、パスワードにより保護されてるものもある。この場合は、パスワードを入力すればできるが、知らなければそこでアウト。

そこで代用するのが、『PDF  complete』である。ページを指定し、保存場所を選択した上でこれで印刷すれば、その指定したページのみのPDFができる。

次『OCR-X』について。これはPDFファイルの文書を.txtや.wordファイルの直してくれる便利アプリだ。操作手順は全て英語であるが、簡単簡単♪

PDFファイルの言語が英語なら、言語決定をする選択際「ヨーロッパ中欧言語 英語」(だったかな・・・・?)を選択するといい。これを手順に従い行うと、テキスト版が手に入るわけだ。


先程も言ったが、『OCR-X』には有料版と無料版が存在する。違いは以下のとおり。

無料版→一枚ずつテキストに変換していく。
有料版→一気にすべてを変換していく。

まぁ、僕みたいな学生には無料版でも十分ですかね。
これで手に入った、英語のテキストファイルをGoogle  translateに突っ込んでやれば、勝手に先生が訳してくれるのだ。なんとまぁ便利な世の中・・・・


※翻訳の際はご注意を
突っ込んで終わりではない。訳してもところどころ不適切な部分がある。何故かと言えば、英語に改行が入っているからである。この改行の為、意味不明な日本語に訳される。

<解決方法>
・英語の改行を直してあげること。
・意味のある段落で区切ってあげること。

この2つを面倒だが手作業でやってあげれば先生はきちんと訳してくれる。この作業には、意味を理解するための最低限の英語力は必要です。


ともあれ、一番いいのはスラスラ訳せるくらいの英語力を身につけることですよね??
(これでは。このタイトルの身も蓋もないわけだが)

Latexにおける図の貼り付け方法

これまた久しぶりの投稿(/・ω・)/

今回はLatexを使いこなしつつある私がどうしてもわからなかった「図の貼り付け方」について、その方法を備忘録として残す。ただし、言い回しや用語が正しく使えている自信はない!!←
(&これからは、このように少しずつ記録を残していきたい)


【Latexに図を貼り付けるための手順】

①DynamicDrawで作成した図やexcelで書いたグラフをまずはpngまたはpdf形式で保存。このとき、保存する場所はどこでもよいが、Latexが入っているフォルダの方が好ましい。

※(DynamicDrawで図を保存する場合、そのまま保存してもwmf形式で保存されるため注意が必要。ファイル→選択部品の画像をエクスポートをクリック→png形式を選択し、同じくLatexが入っているフォルダに保存。これは絶対)


②次に、「アクセサリ」より「コマンドプロント」を起動。何をするかというと、保存した図をLatexが読み取ってくれる「.xbbファイル」に変換するためである。これは、簡単に言えば、Latexは「BoundaliyBox」という箱から図の情報を読み取り、プログラム上で指示された大きさに図を変更したり、位置を変えるのである。操作は以下の通り。

(1)コマンドプロントより「extract bb (ファイル名).(保存した形式)」というコマンドを行う。


(2)「dir」を行い、Latexのディレクトリに保存した図のbb(またはxbb)ファイルが保存されていることを確認
→このとき、ファイルが作られていても「0バイト」でないかを確認した方がいい。
そんなことがあるのか?と聞かれれば、あり得る。最も、その場合は保存やコピーの時点で間違っているのだが。


(3)保存が確認できればOK!!


③Latexで次のコマンドを入力
\begin{figure}[b]←bはbottomという意味。この他にも、「here」,「tbp」などがある。
\begin{center}
\includegraphics[width=0.45\textwidth]{./(保存した図のファイル名).(保存した形式pngなど)}
\end{center}
\caption{お好きな名前}
\label{fig:お好きな記号}←後に貼る図などが前後してもlabelの順序は通しのままという便利さ
\end{figure}


これで図を貼りつけることができたはずである。多分。

初めにも書いたが、当方はそこまで詳しくはないので、間違っていてもあしからず・・・・

2013年8月28日水曜日

勉強って・・・

久しぶりの更新!

最近、自分の文章力の無さに痛感している。授業料免除の事由事項欄、イエシムさん、レさんとの英会話etc。まぁ、その文章力を少しでも上げるための自己満足のブログな訳ですよ・・・・(泣)


さて、本題に入るための導入として、うちの研究室で石川県庁に2名合格した!!(行政&土木)おめでとうございます。そして1年間お疲れ様でした。来春からは同じ社会人1年生として頑張って参りましょう!!

本題(と言っても、また先生との雑談から生まれたものだが)。
では、何故これが導入なのか?1つ気になって欲しいことがある。それは「理系のこの学類から『地方上級・行政』に合格したということである」



これはつまり、大して専門的知識やそのバックグラウンドを持たず、たった1年そこら勉強した学生が石川県を動かす一因になったということである。もっと言えば、落ちた文系の学生は何のために大学に来ていたのだろうか?

言い方は非常に悪い。それはお詫びを申し上げます。しかし、一人の市民として疑問に思わないだろうか。これから、社会人になる私は非常に疑問に思う。何故そのような人に左右されなければならないのか?何故その人たちのために税金を納めなければいけないのか??

合格した人々は一所懸命勉強されただろう。なぜなら、人生を決める選択なのだから。しかし、果たしてそれは勉強と言えるのだろうか?

私は、それはテスト対策をした結果ではないだろうかと思う。入試でも同じことだが、こういう問題が出るから、こう解けばいいというパターン化。これが出るから教科書を読み、出ないならやらなくてよいという取捨選択。まさに、「対策」である。


勉強とは、本来、現象や物事を深く理解し説明できるようになるためにやるべきではないか?
確かに、日常はパターン化で終了することが大半であり、そのパターンすら処理できない人はきっと無能と呼ばれるかもしれない。だが、私たちはそのパターンをこなすことでお金を稼ぐわけではない。


社会人とは、そのパターンにはまらないもの、あるいは勉強により得た理解を用いて正確に、そして常に疑問を抱き、それを解決する。それが仕事をするということである。そして、それに対し賃金が支払われる。これが社会の仕組みではないだろうか。


もちろん、そこに到達するまで勉強するというのは理想論であり、個々の勉強できる量や時間は限られている。全員が全員でなれるはずもない。私もその一人である。勉強するかどうかは個人の判断だが、根本として勉強とは対策をすることではないはずである。

もし、勉強=試験対策ならば、社会人が口をそろえて「学生時代にもっと勉強しておけば・・・」とは言わないはずである。何故なら、入社対策をし、関門を突破した時点でもう彼らの勉強は終わっているのだから。

彼らは「もっと知識、理解を深めさえしていれば・・・」と、言うべきである。
そして、それを正しく理解し行動している学生はほとんど皆無ではないか。
(来年からは自分が言いたくはないけど・・・・・・)

2013年7月31日水曜日

研究室の雑談 その2

今日の研究室で4年生はほとんど僕1人だった。なんとも寂しいというか、公務員の試験が終わった余波であるからだろう・・・・

さて、M1の方を除けば私1人の研究室。小林先生とたっぷり雑談をすることができた。何んとも貴重な時間であること笑!(もちろん話の全てを理解できたわけではないが)今日のお話の内容としては主に↓な感じ。

①ワインバーグ
→トランスサイエンスを提唱:科学技術がもたらす複雑な問題(科学技術では解けない)を解決するためには新しい方法が必要。

②教育機関の在り方について
学校とは、人類がこれまでに得てきた知識において必要なものを凝縮し教える場である。それは生徒から見れば難しくわからないかもしれないが、先生としてはいつかその知識が役に立つであろうと信じ知識の種を撒いている。生徒が0から知識を構築し理解することがほとんど不可能であるから。また、先生が種を撒く際は注意をしなければならないことがある。それは、先生が目の前にいる生徒はどうせ理解できないだろうと頭打ちしてはいけない。その上限はあくまでその先生個人の価値観に基づいたラインであり、生徒はこれからその先生とは別分野で羽ばたく可能性を持っている。先生はその可能性を信じ伸ばすべきであり、決してその可能性を摘んではならない。


む、難しい・・・・・。しかし、こういう話をきくことができたのは本当にありがたい。自分の考え方の幅が広がることを実感できる。僕が学校に来ている主な理由はこの会話だと思う。