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2014年2月7日金曜日

安定志向で現実主義

 昨日、ようやく卒論を提出することができました。本来のゴールとは別地点に着地せざるをいけなかったけれども、これは仕方ない。それでも、自分でなんとかやってきたという実感はあるので及第点としておく。


 さて、先日facebook上で高校の同窓会の知らせが届いた。今でも、当時のことをはっきりと覚えているくらい高校生活は充実していたと思う(※受験を除く)。そのfacebookを見てみれば、ベンチャー企業に就職している?友人を発見した。

 その企業はこの2月で創立1周年を迎える企業。社員はとても若く、これから頑張っていこうとする写真がHPに載っていたので印象が良く見えた。

大企業が絶対ではない。やりたいことをやりたい、自由に意見が言える空間で働きたい。いろんな仕事を任され、こなしていくことで成長したい。などなど、様々な理由があるのは分かる。

他にもベンチャー企業の利点は多くある。日本を支えているような企業も確かにある。
例えば、タイやベトナムを対象にガソリンを一切使わない、エコなバイクを設計、販売している会社がある。大企業の欠点でもある縦な構造、具体的に言えば、企画→設計→販売という構造を、複数の会社が分散する方法で会社を運営している。これは、大企業も少しは取り入れても良いのではないかと思う。このおかげで、会社は設計に十分注力できており、他の大手自動車企業に引けをとらず、エコバイクを作ることが出来ている面が大きいのではないかと思う。


このようなメリットもあるが、それでも僕は大企業を選ぶ。ベンチャー企業で働いている人を否定するつもりは全くない。僕の思うところである。間違いがあれば、指摘してください。


1.ベンチャー企業は1輪車走行みたいなもの。風が吹いたり、横から突かれればすぐに転倒しそうになる。特に、他国企業や大企業を前にしては。

2.確かに、やりたいことが出来るかもしれない。しかし、実際はやりたくないことの方が多いのではないか。ベンチャー企業は少数で運営している。例えば、事務仕事(普通は、事務系の職種がこなすこと)が苦手でもこなさなければならない。

3.1と重複するが、賃金が不安定かつ低い企業が多い。やりたいことができるから、お金は少なくても良い。なんて言う人がいるが、僕から見ればなんとも幸せな考え方の持ち主かと思う。そんな考えでは生きていくことはできない。対称的に、大企業の良いところは賃金がいいところだ。(例外もあるが)

やりたくないこと、人を蹴落とすようなことがあっても、仕事については非情で現実的にこなさなければいけないと思う。僕が男であるからかもしれないが、自分のあるいは家族の生活を支えなければならない(将来の話だが)。そのために働くつもりである。必要最低限であれば十分と言うが、それはお金に苦労をしたことがない人のセリフではないか?ならば、一度お金で苦労してみた方がいい。どれほど大切かすぐに分かる。


 石川県民らしい、保守的な考えですねw

2014年2月2日日曜日

ブログをモバイル版で見ると・・・・

卒論があと5日で提出です。現在は教授の計算結果待ちの合間を縫って、卒論を書いています。内容は「剛塑性有限要素法を用いた落し戸解析」です。


さて、ブログのデザインを変えてみました!テーマは工学部かつ土木学部なので「設計~実現への道のり~」ってところですかね。頭の中にあるものとやや違うのですが、これ以上のいじり方はよく知らないので妥協します。

先日モバイル版でこのブログを見たところ、ブログの名前(白)+背景(白を基調)=蒸発現象してしまいました・・・・泣。この他にも数々の見にくいところがあることに気付きました。

もし、このブログを見て下さる方はお手数ですが、web版に入りなおして下さいm(_ _)m
方法は、モバイル版を一番下までスクロールした後に、web版というところをタッチしてください。

2014年1月30日木曜日

卒論

暖かい日が続いてます。
マジで雪吊りの意味がないです。


現在卒論を書いています。この卒論が終わると我が学生人生も終わるんだなぁとしみじみ思いますね。今度振り返りのブログでも書こうかな・・・?
というわけで、今回はその卒論がテーマです。

【卒論】大学(短期大学を含む)および高等専門学校に所属する主に最終学年の学生が、その最終学年の一年間を通して行う「卒業研究の成果として提出する論文のことである。  (wikipediaより抜粋)

辞書的な意味はこんな感じみたいですね。
では、僕たちにとっての意味は何なのだ??と、ふと疑問になりました。

以下は思うところですが、もし研究が世の為人の為になるならば、僕たち学生に研究をさせるのはあまりにも非効率的です。だって、僕たちに一から教える必要はないのだから。それに、僕たち多くの学生は「卒業さえすればよい」、「卒論なんて過去の先輩のコピペに自分の意見を少し加えるだけでいい」と思っているのでは??そんなテキトーな奴らにやらせるよりは、学校の教授らは一人の研究者なのだから教授たちが進めた方がよほどいい。

それでも、卒論をやらせるというのはやはり大学が1つの教育機関だからでしょうか。目的→手法→条件の設定→結論という考え方は、社会に出てから必ず必要になりますよね?例えば、報告書を書くときなど。(まだ社会人ではないからわからないけど!)卒論をやらせることは、そういった社会で生きていくためのほんの一部を僕たちに教えさせるツールの1つなんだろうなと思います。

くだらない学生のくだらない戯言でした。m(_ _)m

2014年1月22日水曜日

たな会の趣旨(一応あるんだからね!?)

最近、路面凍結にかなり注意しながら運転しています。ハンドルとは全く関係なしに動くからなんと怖いものか・・・・泣。皆さんもお気を付け下さい。


さて、今回はかなり身内ネタである「たな会」について。
一応、趣旨があって開いてるんだからね!
別にお金を払いたい訳じゃないんだからね!

【復習】
「たな会」・・・いろいろありまして(僕に彼女ができないことが原因)、バイト先の僕より下の後輩たちをご飯に連れて行き、僕が全額驕るという僕にとってドM会のことです。
確か、最高額は2万は軽く超えてる。累計は10万は余裕じゃないかな(にこっ)

【趣旨】
ここからは本邦初公開。別に誰か喜ぶわけではないけれど。
目的は次の通りです。
・『趣旨1』
同じバイトで働く仲間としてバイト(=集団行動)してきました。その帰り、あるいは別日に皆で「同じ釜の飯を食う」ということが僕がしたかったからです。
⇔この個人主義のご時世、飯を個人で食うのが当たり前の世の中です。ちょっと寂しいじゃないですか・・・。せっかく集団行動しているんだから、飯もいっしょに食って仲良くなりたいですね。


・『趣旨2』
僕がバイト先の1人1人が「何を考え、何を思い、どのように行動しているか」を知りたいから。
端的にいえば、バイトでは見えない一面を見ることです。
⇔後輩1人1人に、そして彼らの話に興味があります。そんな中でも特に尊敬する後輩が何人かいます。僕の頭のレベルをはるかに上回っている、そんな気がしています。彼らのように考え、行動できるようになるためにはあと2,3年僕に必要かも・・・・?
じゃあ、2,3年待てば良いじゃん!

↑これでは遅いですよね。では、どうするか?
これは1つの自論だが、いっしょに行動し、話を聞き、真似をすればよいに尽きます。
要は、「賢くなるためには賢い奴と行動すべし」
偉そうなこと言ってごめんなさい・・・泣


でも、手っ取り早いのではないですかね?「個性ないじゃん!」と、言う人もいます。
あくまで「真似」するだけです。常に「自分だったらどうする?」と、ちゃんと考えていますよ?(多分)


以上、たな会の趣旨と理由です。
果たして仲良くなったか?知りたいことを知ることができたか?それは謎です。
でも、個人的な感覚では十分元は取れてる気がします。

いつかはたな会again(社会人Ver.)開きたいですね。
予算はどうしようかな?

2013年12月30日月曜日

人生積分論

どうも着地です。今日も寒いです。はい。。。。。

さて、タイトル通り私は数学が好きです。(好きこそものの上手なれは肝に銘じておきます・・・・)
今回の元ネタは、日ごろ私が思っていることと担当教員の考えが同じだったのが印象に残り、これを文章化したいと思ったからです。



結論は「人の価値、あるいは物事(試験など)の結果は日々の積分である」。まぁ、当たり前のことですよね。しかし、普段は自覚していないのではないでしょうか?
下の図はこの考えを主張するために、私なりに考えた図です。横軸は、ある時点での「努力」を表しています。縦軸は、「その時点における何らかの結果や評価」。関数は私たちの「やる気」をそれぞれ表しています。


当然、やる気が高いとき、物事が分かり始めたときは集中力も高く、それに対応した結果が得られるはずです。これが、軌道に乗ると精神的に健康、日々の営みに楽しみを見出していきます。
※(関数は適当です。この形は人それぞれだと思います。)

逆に、誤った方法での努力や時間遅れを伴う結果などが生じた場合、やる気が減少する傾向にあります。そのときに努力をしても、集中力散漫満足のいく結果がでなかった→結果、評価が下がった→努力を怠る。いわゆる負の連鎖です。

ときに、「じゃあ、大事な場面でこの関数の極大を迎えるように調整すればいいんでしょ?」という人もいると思います。私はそれに待った!と言いたい。

確かに、大事な場面で極大値を迎えれば面積は多少大きくなります。しかし、勝負はその前に決着がついています。何故なら、関数の面積が結果です。僕たちの実力であり結果です。如何にその日の為に準備を整えてきたか?その時点で勝負ありです。もし面積が同等なら、時の運やその日の調子によるのではないでしょうか。

これが全員に当てはまるとは限りません。ただ、私はこのように感じ、考えています。







2013年12月14日土曜日

TOEIC 自己ベスト更新乙!

 北陸が本気が最近、本気を出してきております。
連日の雨or雪。風速20mを超すような強風。建物をも振動させる雷。


航空機を作っている人のお話によると、航空機は当然ながら落雷に対しても設計の一部として組み込まれている。では、頻度の程度は?、どのくらいの放出量(V:正確な単位は知らないが。)などが必要となる。

そこで、モデルに使われるのが世界で頻繁に雷が発生する2か所の地域だ。1つはスカンジナビア半島。もう1つがこの日本海沿岸部だそうだ・・・・・。これは笑わざるにはいられなかった笑。



 さて、半分趣味の領域になっているTOEICの最新結果(11/17受験)が返ってきた。
以下、前回(9/29受験)との比較。


             Listening                Reading             Total

9/29          295                      275                  570


11/17        350                       330                 680  



110点も上がったぞぉぉぉぉ!!以前からListeningが苦手だったので、ようやく克服できたようです笑。これで、会社にもある程度、胸を張れるかな・・・・?(なんせ、730点以上取得者が全体で30%未満だそうなので)

ただ、1つ懸念。それはReadingが受験当初から伸びていないこと・・・・泣。
1回目受験から今回まで300点前後をウロウロしてます。本来はこちらの方が得意なので、何としても底上げをしたいところ。

これに満足せず、2月and3月も受験して、入社時には「800超えてますけど?」と、自慢したいところ!(もちろん、TOEICはあくまでも、英語ができるだろう、という可能性を表していることは承知しております。)

様々な人のブログなどを見ると、800点越えのカギは「TOEIC対策」の勉強よりも「日常英語の」の勉強のようですね。現在、趣味化しつつある、BBCNewsとTEDをさらに深めようかな・・・・?


以下、我が最終目標(学生時代における)なり。

       Listening                Reading             Total

Xday           400                       430                  830

2013年11月20日水曜日

こうのとりの行方

これまたお久しぶりの更新。
「言うは易く行うは難し」というやつです。



少し思うことがあるので投稿。
お題は「こうのとりのゆりかご」について。


これは、熊本県熊本市にある医療法人「慈恵病院」が行っているシステムの1つであり、通称「赤ちゃんポスト」と呼ばれている。様々な事情によりやむなく育児を断念せざるを得ない女性たちが、匿名かつ無料でこの病院に赤ちゃんを預けることができるというものである。

これはドイツの「Baby Klappe」というものがお手本になっている。2000年より、ドイツでは捨て子が当時、社会問題となっており法改正がままらない中施行された。日本では2007年よりこの病院のみで実施し、この6年間で92人赤ちゃんを預かったという。


しかし、ここで1つ課題。それは預けられる人数が予想を超えたことである。この病院の院長は、多くても年に2,3名程度だと予想していたが、実際はその約5倍もの赤ちゃんが預けられたことである。まさに、現代社会の問題を如実に浮き彫りにした。。。。。


施設、人員が制限される中増え続ける捨てられた赤ちゃん。この病院を中心に、「こうのとりのゆりかご」を増やそうという運動が行われている。民間だけでなく、公の組織も赤ちゃん、そして女性を助けようと働きかけているのである。


ちなみに、ドイツはこの制度を廃止し、匿名制でなく、女性と病院における相談員との守秘制にしたのである。守秘制とは、預けられた赤ちゃんが16歳になれば、自分の母親が誰か知る権利を得ることができる、という意味からきている。匿名制を廃止したのは倫理上の問題だからであろう。


【以下私の思うところ】

・「こうのとりのゆりかご」を増やすのは良い事だと思うが、場所を考えなければならない。今は熊本市のみにしかなく、ほとんどの人々にとっては遠いため赤ちゃんを預けることができない、という人も少なくないと思う。これがもし、都市圏に設置されたらどうなるであろうか。(ちなみに、匿名制でなく、守秘制の方が望ましいと思う。)


・また、簡単に増やせというが、その運営費は誰が賄うのであろうか。昨今、お年寄りのため、生活保護のために、という社会福祉の名目で日本の支出に負担がかかっている。これ以上、拍車をかけるわけにはいかないだろう。

1つの案としては、預ける母が毎月or毎年、養育費を払うのはどうであろうか。夫婦が離婚すれば、子供の養育費を片方が支払うのと同じように。

生みたくなくても生んでしまった、という人には辛いことかもしれない。しかし、今の日本にはそこまでお金を回す余裕があるとは到底思えない。払えないから赤ちゃんを預けず殺してしまうor心中する人もきっといるかもしれない。しかし、残念ながら今の私には、そういう人たちに対し何をしてあげればよいか?を考えるほど、力はない。


重いですね。
では、おやすみなさい

2013年8月28日水曜日

勉強って・・・

久しぶりの更新!

最近、自分の文章力の無さに痛感している。授業料免除の事由事項欄、イエシムさん、レさんとの英会話etc。まぁ、その文章力を少しでも上げるための自己満足のブログな訳ですよ・・・・(泣)


さて、本題に入るための導入として、うちの研究室で石川県庁に2名合格した!!(行政&土木)おめでとうございます。そして1年間お疲れ様でした。来春からは同じ社会人1年生として頑張って参りましょう!!

本題(と言っても、また先生との雑談から生まれたものだが)。
では、何故これが導入なのか?1つ気になって欲しいことがある。それは「理系のこの学類から『地方上級・行政』に合格したということである」



これはつまり、大して専門的知識やそのバックグラウンドを持たず、たった1年そこら勉強した学生が石川県を動かす一因になったということである。もっと言えば、落ちた文系の学生は何のために大学に来ていたのだろうか?

言い方は非常に悪い。それはお詫びを申し上げます。しかし、一人の市民として疑問に思わないだろうか。これから、社会人になる私は非常に疑問に思う。何故そのような人に左右されなければならないのか?何故その人たちのために税金を納めなければいけないのか??

合格した人々は一所懸命勉強されただろう。なぜなら、人生を決める選択なのだから。しかし、果たしてそれは勉強と言えるのだろうか?

私は、それはテスト対策をした結果ではないだろうかと思う。入試でも同じことだが、こういう問題が出るから、こう解けばいいというパターン化。これが出るから教科書を読み、出ないならやらなくてよいという取捨選択。まさに、「対策」である。


勉強とは、本来、現象や物事を深く理解し説明できるようになるためにやるべきではないか?
確かに、日常はパターン化で終了することが大半であり、そのパターンすら処理できない人はきっと無能と呼ばれるかもしれない。だが、私たちはそのパターンをこなすことでお金を稼ぐわけではない。


社会人とは、そのパターンにはまらないもの、あるいは勉強により得た理解を用いて正確に、そして常に疑問を抱き、それを解決する。それが仕事をするということである。そして、それに対し賃金が支払われる。これが社会の仕組みではないだろうか。


もちろん、そこに到達するまで勉強するというのは理想論であり、個々の勉強できる量や時間は限られている。全員が全員でなれるはずもない。私もその一人である。勉強するかどうかは個人の判断だが、根本として勉強とは対策をすることではないはずである。

もし、勉強=試験対策ならば、社会人が口をそろえて「学生時代にもっと勉強しておけば・・・」とは言わないはずである。何故なら、入社対策をし、関門を突破した時点でもう彼らの勉強は終わっているのだから。

彼らは「もっと知識、理解を深めさえしていれば・・・」と、言うべきである。
そして、それを正しく理解し行動している学生はほとんど皆無ではないか。
(来年からは自分が言いたくはないけど・・・・・・)

2013年5月29日水曜日

パズドラ

 サークルや研究室に行けば必ず1回は「パズドラ」の会話が聞こえてくる。「~強くない?」、「レアガチャひいたけど・・・」、大体はこんな内容だ。私自身はやっていないので、何を言っているか全くわからない。外国語を聞いているようなものだ。会話のみならず、飲食店やバスの中を見わたすと携帯をいじっている人がいるが、ひどい時は半分以上の人がパズドラをやっているなんてこともあったり・・・・笑

 私なりに何故これほどブームになっているのか考えてみた。合っているかどうかは別問題。
キーワードとしては、
①対戦機能とキャラクター性 ②パズルゲーム ③無料アプリ

 まず、①の対戦機能とキャラクター性について。パズドラは対戦機能がない。つまり、人と争う必要がなく個々の世界観で楽しむことができるのだ。対戦機能は課金した人や賢い人が弱者を一方的に攻撃し他者との差別化を具現化しようとする。その結果、弱者の意欲が減退し利用者が減少する。その対戦機能がなければ他者と争わず、個々のペースが尊重され利用者の減少は抑制される。加えてそのキャラクター性。数々のかっこいいモンスター、かわいいキャラクターなどを集めることも楽しみの1つとされ、女性にもヒットした原因であるだろう。

 
 ②について。日本は脳トレが大好きである。昨今、脳を鍛えるテレビ番組が放映されている。パズドラはその名の通り、ブロックを3つそろえて崩すことにより敵モンスターに
ダメージを与えるシステムである。どうすれば大ダメージを与えられるか?何連鎖続けることができるか?スキルは?etc.....このような細かいシステムはまさに日本人向けではないだろうか。

 ③について。無料アプリとしたが、さらに突き詰めれば技術の向上である。スマートフォンの発達、データ処理能力の発達など、以前の端末あるいは一昔のゲーム機ですら出来なかったことを平気でやってのける現代になった。今後もこのようなアプリ、あるいは端末の技術は発達するであろう。


【まとめ】
 私は、大げさではあるがパズドラはちょっとした現代日本の縮図ではないかと考える。①、②では、個人主義の浸透、アニメなど新しい日本文化の台頭。③では、世界でもトップクラスの技術力と細かいシステムの配慮。どれも平成時代を象徴するような言葉ではないかと私は考える。
 
 ただ、一言申し上げたいことがある。飲み会、旅行先などの場でパズドラはしないで欲しい。せっかくのイベントなのでもっとそれに集中していただきたい。いわゆる、Catch the moment である。